1981〜1983年の間に輸送第20大隊のC-119Gは未だ現役バリバリで活躍していたとは言え、既に塗装やマーキングはかなり劣化しており、当時地上から見上げても機首に何が書かれているかよく判らなかった。しかし、こうして引退セレモニーで再現してもらえば全盛期の彼ら達の姿がはっきり見える。
 (Photo by CCK−FOX)
1997年 台湾で長らく使われてきたC-119GもついにC-130Hに更新され 引退となった。このセレモニーでは、13年前の1984年に解体となった20大隊の3個飛行隊のマーキングでの再生が行われ 全盛期の2個大隊 6個飛行隊が再現されて最後を飾った。以下の作品は、全て 台湾の友人からのものである。Many thanks to my taiwan's friends !
C-119G(3165) 20AW 2Sq ....1982
第6中隊徽
C-119G(3174) 20AW 6Sq ....1982
第2中隊徽
第20大隊
(1948〜1984)
20th AIR GROUP
第6中隊徽
空軍軍史館展示のC-119G(3190) 2sq
第6飛行隊(6sq)の鹿のマークが鮮やかである。軍楽隊も待機してセレモニーの開始待つ。
C-119G (3192) 51-8120 ・・20AW 6Sq ....1997
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C-119G(3174)
20AW 11Sq ....1982
C-119G (3204) 51-8150 ・・20AW 11Sq ....1997
C-119G (3120) 51-8070 ・・20AW 2Sq ....1997
C-119G(3167) 20AW 11Sq ....1982
C-119G(3123) 20AW 6Sq ....1982
↑ 上の写真でお解かりの通り、第2中隊が赤、第6中隊が黄、第11中隊が青のスコードロンカラーだった。また上写真の内、編号”3133”が4枚ブレードのプロペラである事が珍しい。配備されたC-119Gの殆どを3枚ブレードに換装した中、非常に稀にこういった未換装の機体も見ることが出来た。

20AW 2SQ REDLINE
20AW 6SQ YELLOWLINE
20AW 11SQ BLUELINE
C-119G(3133) 20AW 11Sq ....1982
当時松山空港に降り立つC-119Gを撮る為に通った建設中のマンション。此処の屋上から憧れのC-119のタキシングとタッチダウンが良い具合に撮れたが、基地門衛の警備室も近くにあり、こちらの動きを察知されないようタッチダウン間際まで顔を出さない様気を付けなければいけなかった。今となれば当時ネガカラーで撮った下の3枚の写真も貴重な記録となってしまった。 
C-119G (3112) 51-2716 20AW 6Sq ....1983
C-119G (3140) 53-8096 20AW 2Sq ....1983
C-119G (3154) 52-5954 ・・20AW 2Sq ....1983
第11中隊徽
C-119G(3210) 20AW 6Sq ....1981
私が台湾で駐在生活を始めた時、台北郊外の松山基地(国内線のターミナルを持つ軍民両用基地)で一番目にする事が多かった空軍機がC-119Gである。当初は尾翼のマークに「象」と「駱駝」の2種類である事とコックピットグラスラインとスピナ−の色分けが数種類ある事しか判断できなかった。後に、この尾翼に「象」のマークを入れているのが第20大隊のC-119Gであって、1984年に解散してしまったことを知った訳であるが、幸いな事に中隊徽の描かれた機種のアップ写真も残っており、今では貴重コレクションの1つになっている。
  第20大隊は、その前身である「空運第2大隊」が1948年にC-46を装備する4個中隊を麾下においてスタートした事に始まるが、1958年頃からC-119Gを受領し換装、その後1984年に閉隊となり10大隊に機体を吸収合併されるまでC-119Gを使用し続けた。台湾の空輸中隊は、16機編成と言われ最盛期には、6個中隊約96機の大所帯であったはずだ。麾下の11中隊には、胴体左側面に6基のガトリング機関銃を備えたAC-119Gも装備されたそうである。

..日本の九州程度の面積である台湾が、何故このように多数の輸送機を必要としたかについては、蒋介石政権が大陸を追われ台湾に移動して以来、ずっと目標としていた「大陸への反攻」と関連があったと考える。これらの輸送機は、物資輸送よりも空挺部隊の訓練に力を入れてきたこと この事を裏付けている。しかし 大陸中国との厳然とした軍事力の格差と時代錯誤となった「大陸反攻」作戦の非現実の前に、次第に大量の輸送機を必要としなくなったことは、当初C-130Hを12機しか輸入しなかった事により判る。こうして次第に老朽化していく(すでに充分老朽化していた。)C-119Gの減耗により この20大隊は、解散に至った訳である。機体を引き継いだ第10大隊の2個中隊は、さらに10年以上このC-119を使い続け、軍用機としてのC-119の歴史に最長記録を書き加えて幕を閉じた。       (2002/1/11 記) 
編号”3174”は、1982年に2度撮影しているが 11SQと6SQの写真が有り、この間に所属が変わったらしい。
第20大隊徽